「生き切る」
彼岸の川原で
暁天の祈りをしていると
よく流れ星が
流れて消える
こうした星が
わたしに告げるのは
生き切るという
一徹な生き方だ
職業に貴賤はない
光りながら消えていった
星のように
自分の最期も
ああありたいと願う
ー坂村真民「生き切る」
<解説>
この詩は、昭和63年11月発行の「詩国317号」に掲載されている詩です。
昭和63年というのは、真民が79歳の年です。
坂村真民は、砥部に来てから、毎朝夜明け前に近くの重信川の河原に行き、宇宙から地球に降りてくる「霊氣」と「星々の光」を吸飲して、世界平和と縁ある方々の健康と平安を祈ることを日課としていました。
これは、真民にとっては「行」であり、雨の日も雪の日も休むことなく、毎日続けることが大事なことで、体調を崩す95歳の年まで、休むことなく続けていました。
79歳という晩年に差し掛かった真民にとって、燃え尽きるまで光り輝く星の姿は、「詩作一筋に生きる」自分の人生の「あるべき姿」であり、「生き切ること」は晩年に向かって生きる真民の「ねがい」であったのです。
砥部町立坂村真民記念館
館長 西澤孝一
※ポスター画像をクリックしていただくと
詳細が確認できます。
坂村真民のまなざし
〜坂村真民がみつめていたもの〜
2020年8月29日(土)〜2021年2月14日(日)
坂村真民記念館
ー坂村真民ー
1909(明治42)年、熊本県玉名郡府本村(現・荒尾市)生まれ。本名、昻(たかし)。
八歳の時、父親が急逝し、どん底の生活の中、母を支えた。
神宮皇學館(現・皇學館大学)卒業後、熊本で教員となり、その後、朝鮮に渡って高等女学校、師範学校の教師に。
終戦後、愛媛県に移住し、高校の国語教師を勤めながら詩を作り続けた。毎月詩誌「詩国」を発行し無償で全国の読者に届ける。
58歳の時、砥部町に定住し、65歳で退職後は詩作に専念。
2006(平成18)年、97歳で永眠。
一遍上人を敬愛し、「タンポポ堂」と称する居を構え、毎日午前零時に起床。夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げるのが日課であった。
飾らない素朴な言葉で人生を歌い続け、その詩の数々は、多くの人に優しさや勇気、そして希望を与え続けている。さらに、慈しみの心にあふれた人柄や生き方は、老若男女幅広い層から支持されている。
(写真は90歳のときのものです)
ー坂村真民記念館 館長 西澤 孝一(にしざわ こういち)ー
(プロフィール)
愛媛県庁職員退職後、坂村真民記念館開館から館長に就任。真民の家族として最後を看取った。
(著 書)
「天を仰いでー坂村真民箴言詩集」(編集)(2019年、致知出版社)
「かなしみをあたためあってあるいてゆこう」(2017年、致知出版社)
「自分の道をまっすぐゆこう」(監修)(2012年、PHP研究所)
坂村真民記念館: 愛媛県伊予郡砥部町大南705
(TEL:089-969-3643)
(FAX:089-969-3644)
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